特に親しい関係であった祖父でドバイ首長のシェイク•サイードが亡くなったとき、シェイク•モハメドは9才でした。そして、新しい首長となったシェイク•モハメドの父、シェイク•ラシッドは自分の息子達に対し、国家に尽くすための準備を始めました。1966年にシェイク•モハメドは英国ケンブリッジに旅立ち、有名なベル•ランゲージスクールに在学しました。そしてこのケンブリッジ在住中に初めてレースを観戦し、ロイヤルパレスが英2000ギニーで勝利を収めるのを目にしたのです。
その後、ケンブリッジからモンズ士官学校に進学し、外務及び英連邦士官学生として最高点をおさめ、名誉賞を授与されました。帰国後は、最初の公務としてドバイ警察公安の最高責任者に任命され、1971年には、アラブ首長国連邦の形成と共に、防衛庁長官に任命されシェイク•モハメドは世界最年少の政府長官となりました。
1995年1月4日、父の没後五年目、彼はドバイの皇太子に選ばれました。皇太子時代にはデスティネーション•ドバイ•キャンペーンを行い、首長国への観光を促進するなど、多くを成し遂げました。また、ドバイ・ショッピング・フェスティバルも開催し、賞金総額当時400万米ドルという世界最高額が贈られるレース、ドバイワールドカップの開催も宣言しました。
この40年間シェイク•モハメドは、皇太子時代から2006年に即位したドバイ首長、そしてアラブ首長国連邦の副大統領として、父の遺贈と目標を引き継いでいます。そして、現在グローバルビジネスの中心となっているドバイの成長と成功を揺るぎないものにしています。例えば、ブルジュ•アル•アラブホテルの建設、空港とエミレーツ航空の拡大、ドバイ・インターネットシティ、ドバイ・インターナショナル・ファイナンスセンター、パームプロジェクト、そして超高層ビルのブルジュ•ハリファなどプロジェクトの数々が世界のビジネスと観光業において、ドバイが握る重要性を裏付けていると言えるでしょう。リーダーシップと明確な目標・革新を通して、シェイク•モハメドは、ドバイ、アラブ首長国連邦、そして、中東のすべての人々を明るい未来へと導くことに成功し続けているのです。
また、シェイク•モハメドはモハメド•ビン•ラシッド•アル•マクトゥーム財団を通して、大変熱心に人道的な活動を行い、戦地及び自然災害の被害を受けた地域に救援物資や義援金を寄与しています。
多忙な公務から離れても、シェイク•モハメドの馬への情熱は競走馬への巨大な投資として注がれ、その結果、サラブレッド生産育成帝国であるダーレーとゴドルフィン厩舎は大きく成長を遂げています。
また、シェイク•モハメドのもう一つの馬への情熱はエンデュランス馬術競技にも注がれています。大変優秀な騎手であるシェイク•モハメドは、2012年の世界エンデュランス馬術競技で優勝をおさめています。